軍師官兵衛・壱

ライブ初めとかオリンピックとかに気を取られてて、すっかり忘れていたブツをUP。


NHK大河ドラマ軍師官兵衛』1月分まとめ。
http://www1.nhk.or.jp/kanbe/
自分の歴史勉強の為のまとめなので、主に城・土地とか時勢にまつわる話(■)でドラマの感想的なもの(●)は微々。
今後の史実=ネタバレなど多分に含みますので、地雷の方ご用心。
目安の為に三英傑と官兵衛の年齢メモ。
役者さんの敬称略。
関連地まとめ→ http://goo.gl/maps/2BKSD
私的官兵衛さん10大出来事年表↓









【1/5 第1回「生き残りの掟」】
■1590年、小田原征伐ですね。
 秀吉54歳、家康49歳、官兵衛45歳。
 8年前に信長@江口洋介が本能寺で亡くなって秀吉@竹中直人が天下統一に乗り出し、その詰めとして織田・豊臣と確執のあった北条家の本拠地である小田原城を落とそうということになります。
 この小田原城落城に向けて周囲の北条派の色んな城も落として包囲して行くんですが、その中で有名なのが『のぼうの城』で有名な忍城の水攻めですね。
 豊臣軍の石田三成が北条側・成田家の忍城を落とそうと水攻めを決行するんですが、色々あって失敗してしまう…というあの話です。
 この失敗後も長期的に戦が続けば落城したのかもしれませんが、大元である小田原城が先に落ちてしまったので結局忍城は“落ちずの城”となった訳です。
 そして“難攻不落”と呼ばれた小田原城が何故落城したのか。
 そこに官兵衛@岡田准一の活躍がある訳ですが、それは今後大河でドラマティック()に描かれるでしょうからまた後日。
 足引き摺ってる理由も大河で(以下略)
 ちなみにこの少し前に官兵衛は豊前国主となって大分に中津城を築き、その後息子に家督を譲ってから小田原攻めに参加してます^^
 で、この秀吉と官兵衛が話してた場所「豊臣本陣」としか書いてなかったけど景色とかから察するに石垣山城だと思われます。
 一夜城で有名なアレ。
 秀吉の一夜城っていうと岐阜の墨俣城もあるけどそれはおいといて。
 勿論実際に一晩で築いた訳ではなくて、木で隠すように築いて完成した時にその木を伐採したもんで、小田原から見たらいきなり出た!って思わせるビックリ作戦。
 おまけに小田原攻めの間、ここ拠点にお茶会開いたり箱根温泉行ったりしたっつーんだからムカつきますな(笑)
 まぁそれ見て戦意失った北条側がどんどん寝返ったりするんで、常人では考えられない作戦としたら天才。


●弓も鉄砲も当たらない主人公補正www


■時は遡って1558年。
 信長25歳、秀吉22歳、家康17歳、官兵衛13歳。
 このちょっと前から、お祖父ちゃん重隆(しげたか)@竜雷太もお父さん職隆(もとたか)@も御着城主の小寺政職(まさもと)@片岡鶴太郎って人に仕えてました。
 黒田親子は元々浪人でしたがその才覚を認められて、1545年に姫路城を貰います。
 とは言ってもこの頃の姫路城は今みたいなものではなくて、館などがあるぐらいの規模でした。
 この姫路城を御着城の支城として機能させるために、黒田親子は地形を生かしてリフォーム。
 現在よりちょっと小ぶり程度のお城に仕上げます。
 支城っていうのは、本城の周りに配置する補助的なお城のことで、いわばラスボス護ってる中ボス的な(チガウヨ
 ちなみに官兵衛は1546年生まれなので姫路城貰って直ぐに授かったようですね。
 まぁ当時は「姫路城」という名前ですらなかったですけど。


キリシタンフラグキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
 っていうかシモが緩い設定は一体どこから(震え声)
 その設定は家康さんのものだろJK←


■一方この頃の信長様25歳。
 既に家督を継いで当主となっていて、清洲城に居を構えてます。
 清洲城については以前『清須会議』のときに書いた記事参照。
 ※d:id:groovemeister:20131129
 トップがこの歳でこの有り様、私だったら死にたくなる…(先見の明がないので)


●藤吉郎22歳@竹中直人、だと?22歳…ガクブル
 吉宗15歳@西田敏行以来の衝撃←


■お父さんが討伐したのは「赤松の野武士」って言ってますが、これは姫路よりちょい西にある龍野城に居を構えてる赤松政秀団時朗の事ですね。
 実はこの人、お祖父ちゃんの前の上司なんだよね。
 今の小寺政職に主人代わるのがいつとか何でとか、詳しいこと調べても分かんないんだけど、その辺りも含めて因縁があるね。
 もうちょい後1564年に、娘(官兵衛の妹)の婚礼で嫁ぎ先(浦上清宗)の親子もろともこの赤松政秀に殺されて、その後も長く対立が続きます。
 その辺りまで出るかどうか…。


●父出陣のとき母いわの後ろにいたょぅι゛ょの中にその子がいると思うと…ホロリ


●コレ何て小劇団。
 でも説明分かりやすくていいね。


■お母さんを亡くして書物に没頭した、っていうのは貝原益軒の『黒田家譜』に記載があるようですね。


●| 冫、)ジー<万吉は見た


●一気に賢くなったな。


●鶴ちゃん好きだけど演技アレすぎてちょっと…(´ε`;)


■1560年といえば…桶狭間の戦いキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
 信長27歳、秀吉24歳、家康19歳、官兵衛15歳。
 敦盛舞わなかったな。
 有名過ぎるので略。


■1561年、元服して官兵衛孝高(よしたか)に改名。
 信長28歳、秀吉25歳、家康20歳、官兵衛16歳。
 烏帽子親は叔父さんの井手友氏@飯田基祐が務めてますね。
 この辺は創作か?


●1話目は幼少期だし説明多いのでこんなものでしょう!
 今後楽しみです♪





【1/12 第2回「忘れえぬ初恋」】
■1562年、元服してから1年後、小寺政職の近習になります。
 ※ドラマは1年前ってことになってますね。
 信長29歳、秀吉26歳、家康21歳、官兵衛17歳。
 近習(きんじゅ)は主君に仕える側近・秘書的な役割で、雑務を行う小姓よりは上の位。
 まぁこの辺は時代とか君主によって曖昧っぽいカンジもしますね。
 官兵衛が小姓じゃなく近習なのは、仮にも自分の小寺の姓を与えた家の息子っていうこととか、色々含みがあったのかもですね。


●鶴ちゃんの赤っ鼻メイクどうにかならんのかwww


●早くも新人イビリが((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル


■同年、初陣を飾る訳ですがこの辺情報出てこないのでよく分かりません。
 まぁ小寺と赤松が小競合ってた背景と、若い官兵衛の軍師としての片鱗を見せる為にこういう初陣表現にしたのかもですね。
 「半ば進み半ば退くは誘也」とか孫子の兵法まで引用しちゃってすごーい()
 ちなみに『孫子』の中の行軍篇の一節らしい。
 『孫子』は一回読んでみたい書物ではあるけれどもハードルがね…。
 http://www.nantaku.co.jp/sonshi/original/09W.htm


●やだ…休夢叔父上@隆大介かっこいい(きゅん)―――――\槍術萌え/


悪天候に見舞われて二人きり、とか…恋愛ドラマのベタシチュキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!wwwww


■栗山利安(としやす)、通称・善助。
 後に黒田家の筆頭家老として、黒田二十四騎・黒田八虎に名を連ねることになります。
 官兵衛一番の家臣。
 後藤又兵衛くらいしか知らなかったのでちょっとメモっておく。
 詳細は追々。

黒田二十四騎(※印は黒田八虎)
http://himeji-kanbee.jp/24/index.html
※井上之房(いのうえ ゆきふさ:通称・九郎右衛門)@高橋一生
・小河信章(おごう のぶあき:通称・伝右衛門)
・菅正利(かん まさとし:通称・六之助)
・衣笠景延(きぬがさ かげのぶ:通称・久右衛門)
・桐山信行(きりやま のぶゆき:通称・孫兵衛)
・久野重勝(ひさの しげかつ:通称・四兵衛)
※黒田一成(くろだ かずしげ通称・三左衛門)
※栗山利安(くりやま としやす:通称・善助、四郎右衛門)@濱田岳
※黒田利高(くろだ としたか:通称・兵庫助)
※黒田利則(くろだ としのり:通称・修理亮)
※黒田直之(くろだ なおゆき:通称・図書助)
・毛屋武久(けや たけひさ:通称・主水)
後藤基次(ごとう もとつぐ:通称・又兵衛)@塚本高史
・竹森次貞(たけもり つぐさだ:通称・新右衛門)
・野口一成(のぐち かずしげ:通称・左助)
・野村祐勝(のむら すけかつ:通称・太郎兵衛)
・林直利(はやし なおとし:通称・太郎右衛門)
・原種良(はら たねよし:通称・弥左衛門)
・堀定則(ほり さだのり:通称・平右衛門)
・益田正親(ますだ まさちか:通称・与助)
・三宅家義(みやけ いえよし:通称・山太夫)
・村田吉次(むらた よしつぐ:通称・兵助)
母里友信(もり とものぶ:通称・太兵衛)@速水もこみち
・吉田長利(よしだ ながとし:通称・六郎太夫)


稲葉山城っていうのは岐阜城の通称です。
 岐阜っていう地名は、1567年に信長が尾張&美濃を手中に収めた時に名付けたものなので。
 これが世に言う稲葉山城の戦いね。
 そして斎藤側が“十面埋伏の陣”なるものを使って信長を襲ったって言ってますが、この策を立てたのが当時斎藤龍興に仕えてた竹中半兵衛谷原章介
 そう、二兵衛が揃いましたよ!(視聴者的には)
 「十面埋伏の陣」って言うのは全軍を一旦通過させといて、その後に背面の兵を後ろから奇襲、さらに残り九面=全方向から襲う、というものらしい。
 冒頭に出てきた孫子の策といい、軍師を描くからこういう戦術とか出して行く感じなのかな?面白い。
 折角だからイメージ映像とか使って解説してくれたらもっと分かりやすいけど、それじゃあただのヒストリアか。


■回想は(ry
 前回ヒャッハー!しながら初登場してきた信長様ですが、当主になる前にお家騒動がありまして。
 こんなトップ嫌だとうつけ拒否した家臣が弟・信勝(信行)を擁立して当主に付かせようとしまして。
 それで何度も戦が起きるんですが、1557年に信勝を暗殺することで制圧する訳です。
 誰が暗殺したかっていうのは諸説あるようですが、信長自身による説はフロイス日本史から。


■藤吉郎はちょうどこの頃、ねねと結婚したかと。
 そして前回一夜城に触れましたが、岐阜の一夜城=墨俣城を建てたのが、この斎藤龍興との戦いの最中と言われています。
 …が!詳しい築城年とか築城方法とか全く分かってなくて、創作なんじゃね?とも言われてます。


■赤松の浦上襲撃は史実で1564年。
 信長31歳、秀吉28歳、家康23歳、官兵衛19歳。


●お、前回書いた浦上氏が出てきましたね。
 官兵衛の妹の嫁ぎ先。
 と思ったら…あれ?「しかるべきお姫様」ってなりましたね。
 !?
 広峯神社の娘・おたつが黒田家の養女=官兵衛の妹になって浦上に嫁ぐ、とな!?
 おー、詳細不明な妹設定を上手く活かしましたね()
 しかもこの子この後アレじゃん…。
 何か官兵衛が王道ヒーロー的な感じになってきたー(笑)





【1/19 第3回「命の使い道」】
■前回から引き続き1564年。
 信長31歳、秀吉28歳、家康23歳、官兵衛19歳。


磯部勉さんの声良過ぎて目がいっちゃうわー・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・
 小河良利は黒田二十四騎の一人・小河信章の父親、と( ..)φメモメモ


●おたつ、官兵衛より年上なのか。
 妹→姉だとちょっとニュアンス変わる気もするけどな。
 何で変えたのかな。


蜂須賀正勝(まさかつ)、通称・小六@ピエール瀧
 このドラマでは通称の方で呼び名統一していくカンジでしょうか。
 本名と通称、混ざって使われると訳分からないので統一してくのは良いことかと。
 でもこの人のように本名でインプットされてる人がいきなり通称で来ると「あれ?」ってなるなぁ。
 私は調べ調べ見てるからいいけど。
 まぁ主人公の官兵衛自体が通称の方で通ってるから、こっちに統一したんでしょうな。
 あとはまぁより人物同士の親密さが分かる…とか?


斎藤道三濃姫内田有紀が親子なのは有名。
 で、道三の嫡男は斎藤義龍(よしたつ)で本来この人が斎藤家を継ぐべきなんだけど、道三は義龍が嫌いで弟たちに家督を譲ろうとしたりするんですね。
 所謂、廃嫡。
 その理由は義龍の本当の父親が自分じゃないからとか何とか。
 そんなもんで父子間の亀裂はすさまじくて、結局義龍が道三を殺すことになります(長良川の戦い)。
 しかしこの義龍もわずか35歳で亡くなって当時14歳の斎藤龍興(たつおき)が家督を継ぐ、と。
 これが1561年、ちょうどドラマの時期です。


●善www助www


●鶴ちゃんのこの食えない演技がオーバーなカンジ、何か八重の桜の小堺さんっぽい…。


■官兵衛の祖父・重隆、1564年没、57歳。


●あ、お父さん後妻もらってる。
 ぬいさんか、頭良さそう。


●あかんで太兵衛…それ狩られるフラグや…


荒木村重田中哲司キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
 この人は官兵衛の人生を大きく左右するキーパーソンなので、あえてここでは触れずにおく。
 だが知っている人は思わず( ̄ー ̄)ニヤリとなってしまうな、このシーンwww
 それはさておき、ここで荒木村重は「摂州牢人」と自己紹介してますね。
 摂州というのは摂津国、今で言うと兵庫南東部&大阪北部。
 姫路から堺に向かってる官兵衛が会ったとしてもおかしくは無いでしょう。
 で、牢人というのは浪人とほぼ同じ意味なんですけど、ザックリ分けると「牢人」江戸中期までの呼び名、「浪人」は江戸中期以降の呼び名です。
 江戸時代に入ると、組織とか立場の意味合いが変わってきますからね。
 まぁその違いです。


■1565年、室町幕府第13代征夷大将軍足利義輝(よしてる)暗殺。
 信長32歳、秀吉29歳、家康24歳、官兵衛20歳。
 首謀者はボンバーマン…もとい松永久秀三好三人衆
 この松永久秀がまたトリッキーっていうか何て言うか凄い面白い人物なんですが、話逸れるし長くなるので割愛。
 今後出てくればその時に書くかもだけど、多分官兵衛とは接点ないからな。
 信長との逸話は結構あるけど。


南蛮人じゃ!南蛮人がおるぞ!


■えごうしゅう=会合衆は、都市の自治を行っていた主に豪商などからなる集団のこと。
 堺・伊勢・博多といった大都市に見られたようです。
 特に堺の36人からなる会合衆は有名で、特にその中でも有力な10人を納屋衆と呼ぶらしい。
 ちなみに千利休の父は、この納屋衆の一人。
 この千利休と津田宗及、そして今井宗久小西博之の3人合わせて茶湯の天下三宗匠
 皆、この堺の商人から茶の世界に入って頭角をなし、天下人を支えていく訳ですね。
 特にこの今井宗久は、鉄砲・火薬などの武器や、甲冑に使う革製品などを扱って商いをしていて、戦国という時代背景もあって会合衆の中でも抜きん出た存在だったようです。


■じわじわとキリシタン成分が…。
 でも官兵衛がキリスト教に入って洗礼受けるのは1585年、40歳の時。
 ちなみに我らが宗麟さんが洗礼受けたのは1578年49歳。
 まぁこの人の信仰心は()





【1/26 第4回「新しき門出」】
■1567年。
 信長34歳、秀吉31歳、家康26歳、官兵衛22歳。
 現在の福井県福井市にある一乗谷
 ここは室町時代に勢力を伸ばしていた朝倉家が代々本拠地にしていた土地です。
 京都から程近い立地なども影響して、朝廷や将軍家などと懇意になり成長していく朝倉家と共にこの一乗谷も栄えていきます。
 しかし応仁の乱が起こり京都は壊滅状態に。
 その時、公家や高僧など身分の高い人たちが逃げ込んだのがここ一乗谷
 この人たちのおかげで一乗谷はさらに栄えていくことになります。
 なので前回、荒木村重の話の中で暗殺された!って話が出た足利義輝の弟・足利義昭(翌年に義秋から改名)@吹越満は、当時の当主・朝倉義景を頼って一乗谷に逃げ込む訳です。
 義昭は何とかして上洛、つまり京都に戻ろうとするんですが朝倉義景がまぁ煮え切らない。
 そこで当時朝倉義景の家臣だったキンカン頭もとい明智光秀春風亭小朝を通じて各所に要請を出させます。
 ちなみに横にいる義昭の側近・細川藤孝@長谷川公彦の嫡男が、光秀の娘・細川ガラシャの夫でもある細川忠興(ただおき)。
 初代豊前小倉藩主(現在の北九州市小倉区)であり、初代肥後熊本藩主(熊本県)。
 更に言うと、こないだ都知事選に立候補した元総理・細川護熙の先祖。
 だからこの人「殿」って呼ばれてるんです。


■そしてこの「上洛したいの!手伝って!」な御手紙が小寺政職の元にも届きます。
 しかし、何故かお父さんのとこにも同じ手紙が…。
 これはマズいですね。
 すっごいエライさんから自分を頼ったお手紙が!
 →我も立派になったなぁ(`・∀・´)エッヘン!!
 →( ゚д゚)ェ...、部下も俺と同様扱い?
 →ぐぬぬ
 …であります。


■官兵衛の妻となる光(てる、みつと読む場合もあるようです)。
 この人の父親が志方城主・櫛橋伊定@益岡徹、通称・左京亮。
 同じ小寺の家臣なので、初回からお父さんの仲良き同僚ってカンジで登場してましたね。
 志方城は今の加古川辺り。
 そしてこの光が小寺政職の姪に当たるようです。
 母方かな。


●恋愛のターンにおけるこのベタ展開は狙ってのことですかwww
 ってか官兵衛がまんま(白)馬に乗った王子様なんですがwww


●僻みぱねぇwww


●官兵衛、意外に櫛橋兄姉からの評判悪かった。


■わだかまりを解くために家督を譲る訳ですが、この時お父さん43歳。
 特に病気持ちなどでもないので、やはりかなり早いタイミングですよね。


■第2回の時に触れた墨俣城


稲葉山城落城
 =美濃攻略完了
 =岐阜誕生
 =天下布武印誕生
 同時に、信長は4年間ほど本拠地としていた小牧山城を廃城とし、この稲葉山城に移ります。
 そして稲葉山城岐阜城という名称へ。
 この“岐阜”という地名。
 「岐山」周の文王が800年続く太平の世を築いた地
 「曲阜」孔子の生誕地
 この2つから1文字ずつ取って命名されたようです。
 息子にキラキラネーム付けたことで有名な信長様ですけど、岐阜は良い名前を貰えてよかったですね!←


●結婚するのすげー嫌がられてるwww


●一目惚れ同士かよ( ゚д゚)、ペッ


■官兵衛は光以外に室は持たなかったそうです。
 光が優れた才女であり、また子宝にも恵まれたおかげかも知れませんが、この時代では珍しいことです。
 その辺り、既にキリスト教の考えがあったんでしょうか。


明智光秀の頑張りにより、足利義昭と信長につながりが出来ます。
 光秀と濃姫が従兄妹だったのでその誼で…とも言われています。
 義昭としては、今最も力のある武将である信長が味方に付くことで上洛がより確実なものになり、一方信長としては、将軍家と懇意になることで更に力をつけることが出来る…っていう素晴らしい利害一致。





⇒2月分まとめへ続く。