清須会議

三谷さんの映画『清須会議』公開から早3週間。
そろそろいいかなー、ってことでネタバレ込みの感想など。


まだ見てなくてこれからだよー!っていう方、一つだけ言っておきたい。
歴史があんまり得意でない方は最低限「どの役者さんがどの役を演じているか」「主要人物の相関関係」くらいは押さえて見に行って欲しい。
豊臣秀吉はともかく、柴田勝家って誰?ってレベルの人は絶対にだ!!
三谷さんがとても分かりやすく物語書いているし、特に難しい用語とかもないのだけれど、全く苦手な人だと人物把握だけで時間取られてしまうと思うのでとても勿体無い。
特に主要人物は幼名とか通称で呼び合ったりするので、知らない人は混乱するかも。


ちなみにかくいう私も歴史の基礎知識は中卒程度だ。
高専の歴史の授業とか先生が好き放題する(自主規制)な内容だったし、大学も編入学だったから専門教科以外いらなかったし。
まさに柴田勝家って誰じゃいレベル。
しかしまぁ時代劇スキーなのと大人になってからの独学が功を奏して何とか頑張ってるよ(何を)


そんな訳なので、自信がない人は公式HPのストーリー&人物紹介くらいは見てから行くべし。





↓ではネタバレ感想↓










まず“清須”について。
タイトルの「清須」って聞いてピンと来た人は、ちょっとした歴史ファンか地元の人か。
それくらいマイナーな土地ではあると思う。
場所としては名古屋の北西、少し岐阜方面に行った辺り。
所謂、尾張国のど真ん中。
駅で言うとJR東海道線清洲駅あるいは名鉄名古屋本線新清洲駅
あれ?と思った人もいるかもしれませんが、「清須」「清洲」どちらの表記もあります。
昔の文献あるある。
今では市名に使われる「清須」の方がメジャーかもしれませんが、城スキーなら「清洲」の方がしっくりきます。
まぁ余談です。

※画像は「城めぐり」さんよりお借りしました。いつもお世話になってます。ありがとうございます。


そんな清須からJRで1駅分岐阜方面に向かった辺りにある下津城(おりづじょう)というところが、元々は尾張国の中心地でした。
しかしまぁ織田氏のアレで何やかんやあって(←)この下津城が消失。
その別郭であった清洲城に中心地を移転、以降、織田氏が力をつけるのと同様に清須も栄えていきます。
それから50年以上経ったある日…信長公爆誕\BORN!!/
後世では超偉人になる信長公も、この時は清洲城当主の家臣の子でしかありませんでした(フラグ)
しかしまぁこれまた何やかんやあって(←)信長公が20歳くらいの時に清洲城に引っ越し&リフォーム\またの名を乗っ取り!!/
それからは、桶狭間の戦いもこっから行ったし、家康との同盟もここで締結したし、清須は名実ともに信長公のお膝元だった訳であります。
その後、天下統一に向けて居城をあちこちに移しはしますが、何やかんや言って飛躍の切欠というか、地元で成功した証のような清洲城がホーム的な感じだったんじゃないかな。
だからこそ、信長公が本能寺の変で亡くなって、跡継ぎどうする!?っていう話し合いがこの清洲城で行われたんだと思います。


あれ、全然映画の話してない。
何故だ。
というか「清須会議」の内容・行方については映画に全て集約されてると思います。
2時間であれだけ上手く収めた三谷さんをさすがと言わざるを得ない。
はいはい三谷教信者ですが何か。
でも実際、結構な人数の思惑が絡んだ物語をあれだけシンプルかつ丁寧にまとめたのはあっぱれですよ。
というのも各人が持った背景とかは最低限に押えて、あくまで人物劇として扱ったからだとは思うんですが。
だから“ドラマ”で分かりやすい。
“史実”は分かりにくいし難しいですからね。
でも分かる人には分かる小ネタとかもふんだんにありましたからね〜面白かった(笑)
しかしあの「笑いの中にゾワッとしたもの」を入れるの三谷さん上手過ぎ…。
どの作品で見てもブルッってなるけど、顛末が分かってる史実でもクルとは思わなんだ。
だから好きなんだー。
コメディコメディしたものも好きだけれど、こういうダークな本質が出たものこそ三谷作品の醍醐味。
でもテレビ作品だとあんまりないからな(´・ω・`)
定期的に三谷舞台見たいんだけどチケット取れないんだよ…_ノ乙(、ン、)_


また話逸れてるやん。
まぁ前述の通り清須会議の顛末は映画で見て頂くとして、その後のことでもまとめておきますか。


清須会議で決められたのは跡継ぎだけではなく、領地配分も決められました。
その辺チラつかせられて池田恒興がフラフラする(笑)ってくだりがありましたが、その通りに会議後には大坂・尼崎・兵庫をもらいます。
その後も秀吉側に仕え、子の輝政も何やかんや(←)活躍し…
―――――初代姫路藩主となり姫路城を現在の姿に改修したのです!!\キャー!!輝政サマー!!/
ちなみに数十年前には黒田官兵衛や秀吉も城主でしたよ。
当時、姫山城だったのを姫路城に改名したのも秀吉です。
清須会議の時もまだ秀吉が城主で、その後大坂城へ移る時に弟・秀長に譲ります。
映画でいうところの小一郎@梶原善さん。
で、その後が輝政さま。
他の領地も大なり小なり家臣や子孫に振り分けられます(雑まとめ)


そして清洲会議から1年後、賤ヶ岳の戦いで秀吉と勝家の全面対決となる訳です。
映画の面子でいうと秀吉側は池田恒興丹羽長秀織田信雄
対する勝家側は前田利家滝川一益織田信孝
結果はまぁご察しの通り秀吉側の勝利で終わり、勝家・信孝は自害、滝川は出家、利家は…色々あって最終的に秀吉側に下るんですよね。
この戦いでもって信長公の“後継者”は秀吉、って流れになる訳です。
天下統一までにはまだわちゃわちゃありますけどね(←)


うーん。
やっぱりこの辺りもまだまだ勉強不足なので難しいです。
血縁とか土地とか見方変えるとまた色々出てくるし(><)
間違ってたらすいません。
もうハナから記憶するのは諦めてるけど主要人物は押さえておきたいんだけどな…。
頑張って精進します。


っていうか振り返ったら何か城の歴史関連の解説みたいになってしまったな。
まぁこういう見方もあるってことですよ。
権力=領地=城な訳ですしね。





最後に、昨年の1月に行った清洲城の写真でも載っけておきます。
名古屋ライブついでに大垣城岐阜城清洲城犬山城名古屋城と1泊2日で回った、我ながら強行スケジュールの一幕です。
確か旅行まとめはしてなかったので←


上に乗せた画像からも分かるように、清須は周りに山とかない平地。
清洲城はそのど真ん中にあり、現在は―――――新幹線と東海道本線でブツ切りされております(´;ω;`)ブワッ
JR清洲駅から歩いて行くと朱塗りの橋、そして模擬天守が見えてきます。

この橋の手前、かつて本丸があった部分の北側に清洲城跡碑、線路挟んで向かいの南側に信長公の銅像があります。
写真が見つからない…何故だ。
模擬天守の内部は通常の鉄筋コンクリート造りですが、資料や展示などかなり見易くまとめられてましたよ。
個人的にはこの辺り周辺の地形解説が非常に勉強になりました。
この頃はそれこそマイナーな城だったのでお客さんも(もごもご)な感じでしたが、今は映画の影響で増えたりしてるのかな?
公共交通機関で行くならちょっとややこしいとこにあるのでお気をつけて〜♪










余談ですが来年の大河が楽しみで仕方ありません。
城的な意味で。
勉強兼ねてその話数で出てきた城解説出来たらいいなぁとかいう出来もしないことをひっそりと書いてみたりs(ry