自分用退職理由覚書

みなさま、如何お過ごしでしょうか。
私は10日間の九州旅行でかなりデトックス
ニート化が着実に進んでいる今日この頃です。





さて、4月も半ばとなっておりまして、それ即ち、晴れて(?)プーになって半月ということであります。
という訳で、以前チョロっと言ってた「自分用退職理由覚書」を晒してみる。


スルーするもよし、「なるほどねー」と他人の人生垣間見るもよし、プギャ━━━m9(^Д^)━━━!!!!!!と嘲笑するもよし、煮るなり焼くなり好きにして下さい。





↓以下、最終出社間近、2月下旬の心境。
 会社説明(?)なんかも交えつつ。
 無駄に長いので注意してね☆←いつものこと










2005年4月に大学院新卒として入社。
2ヶ月の研修期間を経て、6月に現在の部署に配属されました。
ウチの会社(とまだ言っておきます)は所謂「カンパニー制」を踏襲してまして、本社は東京ですが各カンパニーがそれぞれ工場を持っていて、そこに総務・品証・生技・営業・技術などの各部署があるような形です。
そして、神戸(というか明石より)に工場を有してるカンパニーに配属された為、神戸に住むことになりました。


元々「ものづくり」がしたいということでこの会社に入った私。
それ故に「何かをつくる」仕事が出来れば、その対象となる物・働く地域などは全く気にしていませんでした。
強いて言えば、大学時代にセンサ関係の研究をしていたので、そちら方面が生かせられればなーとは思っていましたが、会社に入れば研究内容とか関係ないというのも分かってたので、そこまでこだわりはありませんでした。


そしてその希望通り「ものづくり」が出来る技術部の製品開発部門に配属させてもらって、実際に凄く遣り甲斐のあるお仕事でした。
あ、ちなみに私、電気関係です。


ウチの特色としては『製品分担制』というのがあるかなぁと思います。
普通のところだったら「仕様決定はこの人」「回路設計はこの人」「ソフト設計はこの人」「実験はこの人」っていう風に業務分担制なのかなぁと思うんですが、ウチの場合「この製品の仕様決定・回路設計・ソフト設計・実験・その他諸々は全てこの人」っていう製品分担制なんです。
当然ながら、多岐に渡る知識を満遍なく持っていなければならないので、非常に覚えることも多く身につけることも大変だったんですが、その分、製品の最初から最後まで携われる訳で、その達成感は業務分担制よりもかなり大きいんじゃないかなぁと思います。
社内の他部署からしても「この製品のことならこの人に聞けばいい」ってコトで、たらい回しにされなくてすみますしね。
逆に言うと、その人が何らかの理由で不在な場合のフォローっていうのが、半端なく困難な訳ですが。
入社してから現在まで不景気不景気と言われてるそのままで、とても1製品に何人も割り振れるような余裕はないので。
むしろ1人を割り裂いて何製品にも充ててる状態なので。
まぁ、技術部なんてどこもそんなもんだろうけど。





さて、ココまでだと「何でこの人辞めてんの?」ってカンジで褒めちぎってますが、当然「退職」という選択肢を取らねばならなかった以上、並々ならぬ事情(当社比)があった訳です。





まず1番大きな理由(と思う)が「製品開発に関する考え方」。
ここ数年、ウチではカンパニーの行く末を左右する大きなプロジェクトが動いてまして、課の人間は殆ど何らかの形で絡んでました。
当の私もその一角である某製品の主担当だった訳で。


開発というのはですね、大きな流れとして「市場調査→仕様決定→設計→試作→試験→量産→試験→出荷」というカンジのフローがあるんですよ。
当然、この出荷までに完全品を作らねばならぬ訳です。
しかしながら、この不景気の中では嬉しい悲鳴とでも言えばいいのか、開発人員に対してのお仕事が半端なく入ってきてまして。
従来であってもいっぱいいっぱいだった上に更なる負担。
それに開発の仕事だけでなく、既製品の対応じゃぁ何じゃぁと色々ある訳で、もう全然回らない。
見かねた上層部が開発コンサルなんてものを入れては見たけれども、付け焼刃。
むしろ、コンサルするための資料集めだとか事情聴取だとかで余計な時間をロス。
残業時間の関係で組合と揉めたりとかうにゃうにゃ。


そんな状況に上層部の下した判断が「とりあえず“形”になったものを出荷して、製品が本格始動するまでに完全品を作りましょう」というもの。


例えば家電とか車とかそういう大量製品だったらありえないことなんですが、ウチが作っているのは船舶の制御機器。
船が年間どのくらい作られてるのか何てみなさん全然ご存じないでしょうが、安易に想像出来るように車などとは比較にならないほど少ないです。
そのせいでウチでは年間100台出荷されれば大量生産、という感覚なんです。
さらに今回は新製品ということで、数隻分のオーダーが来ているのみ。
つまりは、その数隻分を何とか誤魔化し誤魔化しで対応して実験台にしましょうということなんです。
勿論モノがモノだけに、実際世に出てお客さんからのフィードバックがなければ真の完成にはならない、っていうことは分かってるんですよ。
でもね、だからと言って社内で完結できるレベルすら完成させずに出してしまうっていうのはいかがなものかと。
確かにね、ウチが出荷したからっていって直ぐに船が動き出すわけじゃないんですよ。
造船所で造った船本体を海に浮かべて、ウチなんかの各社製品を積み込んで配管・配線して、そっから「海出てもいいですよ〜」って許可もらうために数ヶ月も試験して…。
だから船が船として動き出すまでを開発リミットとするなら、出荷からさらに数ヶ月の猶予が得られる訳です。
どうやっても引き伸ばせない出荷日の代わりに、とりあえず見た目それっぽいものを客先に出しといて、この「準備期間」に中身を仕上げましょうと、そういう訳です。
別にね、私正義感も強くないし潔癖症でもないつもりです。
でもさすがにコレはどうなの、と。
技術者として一社会人としてどうなの、と。
他に競合の多い大量製品でこんなことしてたら即倒産ってなもんですけど、この業界では競合なんて片手で足りるほどしかないし、一旦プロジェクトが進んでしまえば「やっぱ他のとこにするわ」なんて言えないので客先が逃げてくこともない…。
よく言えば長年の付き合いによる信頼関係だけれども、悪く言えば癒着っつーかなぁなぁっつーかぐだぐだっつーか、ちょっと詐欺なんじゃないかな、と。
今までの案件でもそういう傾向がなかった訳じゃないんですけど、今回は案件が大き過ぎて目についたというか、私が自分の与えられた担当範囲だけじゃなくてそういうとこも見えるようになってしまったというか。
とにかく、この会社の考え方に「何だかなぁ」と思ってしまった訳です。
コレが退職理由の1つ。





それから、2番目の理由が「精神&体調不良」。
1番目の理由と関係してるけど、中途半端な状態で製品を出すことに納得のいかなかった私は、自分だけでも何とか完成に近いものを作り上げようと思ったわけです、自己満足だけど。
だからって納期が変わるわけじゃない。
ってことは、当然のことながら1日辺りの仕事量が増える訳で。
休日出勤はもちろん、平日のわずかな休憩時間すら惜しんでお仕事。
もうね、そんなこと数ヶ月もしてたら体だけじゃなくて精神にも来たし始めてね。
出荷の半年前くらいからは寝ようとしても眠れず、寝たかと思えば夢にまでみて最悪な寝起き。
そんな状態でまた会社行って仕事してまた眠れなくて…。
ホント見事なまでの悪循環。
かと言って、会社の考え方のようになぁなぁ出荷をしようとすれば、なけなしの良心が痛んで辛くなって…。
前にも後ろにも進めなくて、すっごいいっぱいいっぱいでした。
だから他の人を気遣う余裕もなくて、ホントあの頃の私、人間的に酷かったと思う。
ごめんなさい。


そんなカンジで自分でも自分の首を絞めてたっていうのに、さらに追い討ちを掛けるのが周囲のプレッシャーというか何というか。
自分でもコレやべぇな、って思い始めた時、ちょっとお仕事減らしたいって上司に相談したんですよ。
負のループに入り込んでてキツイと。
「何らかの理由」で残業しない先輩に、少し負担してもらえないかと暗に言うカンジで。
でもね、「○○(他の先輩)も残業時間が凄くて組合に怒られてさ〜ハハハ」って。
その人と比較したらまだ無理出来るでしょ、ってそう言う訳です。
私もね、出来る事ならそうしたいよ。
だけどさ、何ていうか男女の体力差ってあるのよ。
荷物が持てる持てないとかの体力差だけじゃなくて、こういう過酷な状況に耐えうるかどうかの体力差って。
でもそんなん分かってくれない。
産業医経由で指導入ったりもしたみたいだけど、「あんまり無理すんなよー」ってそれだけ。
ただ言って終わり。
そして、他の人に任せられないレベルまで開発が進んでから「派遣のあの子に軽い仕事渡しな」とか言う始末。
もうその子が出来るレベルの深さじゃねぇっつーの。
結局何の改善もないまま出荷まで一直線。
部下各員の仕事をマネージメントするのが上司の仕事の1つだと思うわけ。
特に担当製品のトコでは自分が一番下っぱだったから、直接は言えない先輩にちょっと口聞いてもらいたいとそう思って縋ったわけ。
でも頼った相手は臭いものにはフタ、と言わんばかりの華麗なるスルースキル。
こりゃダメだ\(^O^)/
コレが2番目の退職理由。





それから、3番目の理由が「人間関係」。
まぁ会社なんて十人十色、あらゆる性格の人が1つの場所に集まってお仕事する訳ですから、少なからず自分と合わない人がいるのは分かってましたよ。
だからスルースキルも発動してたし、営業スマイルも浮かべてた。
でも所謂「お局様」ってカンジの人に目を付けられてしまってね。
表面的には何もないけど水面下で感じるオーラっつか嫌がらせっつか。
何か色々と我慢してたらどんどんどんどん積み重なっちゃって、いつの間にかコップから溢れちゃったんだろうなぁ。
もうしんどくなっちゃってね。


あと、個人的には関西弁の職場が性に合わなかったっぽい。
会社入るまでは全然気にしたこともなかったし、むしろ明るくていいじゃんとか思ってたんだけど、何か関西弁でそれこそ弾丸のようにまくし立てられると思いの外ダメージが酷くて。
最終的には話しかけられたら頭痛・耳鳴りするわ聞こえなくなるわ。
よくよく考えたら自分って勉強・仕事に関しては一人で黙々と熟考タイプだし、ガーッって直球ストレートで明け透けな関西の人とは合わないのかも。
いや、別に関西の人に偏見持ってる訳じゃないです。
私の職場にはそういうタイプの人が多かったってだけです。
それにプライベートで関西の友人と喋ってても特に何ともないし。
コレが3番目の退職理由。





最後に、4番目の理由が「対象物に対する興味」。
これは人事の方と面談した時に言われて「なるほどー」って思ったことなんだけど、開発して作り上げる対象物に対する執着がないってことなんですよね。
冒頭に書いたように、私がしたかったのは「ものづくり」であって、その対象となる製品は何でも良かったんです。
今は船関係の製品だけど、これが自動車関係とかになっても別に何とも思わないだろうし。
初めはそんなの全然関係ないと思ってたんですけど、これが結構大きな問題だと言うことが分かりまして。


まずね、色んなことが覚えられないという事態になりました。
どの仕事にも言えることだけど、業界特有の知識やら既存製品の知識やら新技術の知識やら、覚えることは山の如しで全く終わりがない訳です。
それがですね、ホント覚えられなくなってて。
当然それ関係の資料とか見直していけば思い出すんですけど、急に「アレ何だったっけ?」とか聞かれても全く思い出せない。
それにこの業界で6年もいたら当然基礎知識としてあるだろうことが、全く「基礎」として身に付いていない。
むしろ後輩の方が詳しんじゃね?くらいになってて。
ぶっちゃけ仕事抜きだったら一生知らなかった業界だし興味もないし、そういうところが原因なのかなーというのが1つ。


それから、自分センスがないなーと感じることが多くなりました。
回路にしろソフトにしろ、特にフォーマットが決まってないところで無から有を生み出す訳ですから、そこには結構個人の特徴が出て来るんですよ。
イイとか悪いとかは別にしてね。
なので、「結果がこうなる」って言うものを作るパターンは無限大で、どのルートをチョイスしてくのは各人の知識とセンスな訳です。
これは1人で特殊なものを作ってるときには全く気付かないんですけど、たま〜に1部分だけでも似通ったものを作ってる人がいたりして。
そういう人が作ったものの中身を見たときにですね、「うわー、自分センスねぇな」って思う訳です。
私にはそういう発想出来ないな、って。
初めは「私頭悪いなー、はぁ…」って思ってたんですけど、むしろコレも興味がないからなんじゃね?って思って。


「好きこそ物の上手なれ」って上手く表現した言葉だなぁと思うわけで、好きなことに関してだったら物凄く記憶力は上がるし、何でも知りたい!って思うじゃないですか。
その情熱ってやっぱ仕事にも必要だったんだなぁとしみじみ。
好きなことを仕事にすると嫌な事があったときに辛くなって嫌いになっちゃうから絶対イヤ!って思ってたんですけど、違ったみたい。
ありふれた言葉だけど、本当に好きなものじゃないとモチベーションが全く上がらない。
波に乗ってるときはいいんだけど、泳ぎ疲れて底に沈んじゃったときに浮上しようっていう気にならない。
頑張って初心に返ってモチベーション上げてみようと試みるも、そもそもどうやって初心に返ったらいいんだい、ってな具合ですよ。
そんなカンジでこの業界に全く興味がない、コレが4番目の退職理由。





あとはね、理由って言うほど大きなものじゃなくてきっかけというか勇気をくれたこと。
それがここ1〜2年で知り合ったPE'Z友さんたち。
今までの友だちってね、やっぱ学校の友だちが殆どで。
私の場合、高校の時点で高専を選んで電気の道に進んでしまって、さらに大学・大学院も電気専攻だったから、友だちも圧倒的に「技術者」が多くて。
だから今思えば、凄く視野が狭かったんです。
みんな大抵、電気関係の設計開発の仕事してるし。
そんな中でね、色んな仕事をしてるPE'Z友さんに出会えたのは本当にありがたいことでした。
今までは「開発」っていう狭い範囲しか見えてなくて、「今の仕事辞めて別の仕事したって、結局は同じことじゃん」って思ってたから。
だけど世の中には色んな仕事があって、それぞれに遣り甲斐があって、辛くもあるけど楽しくもあって…。
そんな風に感じたら、我慢してまで今の仕事にしがみついてる必要はあるのかな、って。
同じような仕事でも別の会社に行けば人も考え方も変わって仕事が楽しくなるかもしれないし、思い切って全然経験のない分野で1からチャレンジしてみるのもいいんじゃないかな、って。
こんな不景気なときに辞めることに多少の躊躇いも感じましたが、逆に今を逃すとダラダラと辞められなくなるんじゃないかと思って。
なので、私の世界を広げてくれたPE'Z友さんには本当に感謝です。
色々相談に乗って頂いたりもしましたし。





うん、こんなカンジです、私が辞めた理由。
多分ね、うま〜く自分の中で妥協したり折り合いをつけたり出来たら、何でもないことだったと思うんです。
ただ私にはそれが出来なかっただけで。
不器用なんだか頑固なんだか性格的なものだろうけど。
仕事に夢見すぎてるんじゃないのとも思ったけど、まだ30歳だし、諦めるのは早いかなって。
まだやり直しの効く年齢だし、もうちょっと理想追っかけてもいいかなって。
そう思った訳です。





そして直属の上司に辞意表明したのが去年の10月。
口下手なせいもあって、理由の1割も説明できなかったと思う。
それでも6年間私を見てくれた上司だったから、「一旦考えさせて」とは言われたものの最終的には認めてくれて(とかいいつつ、隙あらば残らんかー?と言ってたけど)。
私がこういう結論になるまでに相当悩んだんだろうというのは伝わったみたい。
話してるウチに感情昂っちゃって半泣きだったしな←


なので割とすぐに、さらに上位へ打診してくれたんだけど、そこでまた「考え直せ」って保留になって。
残れるように色々改善するから〜とか言いつつ何1つ変わらずに2ヶ月。
いい加減私も痺れを切らしてきて、最後通牒と言わんばかりに退職願を提出。
さすがに上司の「ごっさんは頑固やからなー、決意は変わらんかったかー」にはカチーンと来たけれども。
確かに私は頑固だけれども、1回言って引っ込みつかなくなって意固地に「辞めます」って言ってる訳じゃないのに。
何度考えてもこの結論に達したから翻らなかっただけなのに。
何かね、一旦辞めると決めてから、会社のイイとこだけ見ようとするのを無意識に辞めたみたいで。
もうどんどん悪いとこばっか見えてくる。
いや、今までも見えてたんだけど、スルースキルなくなったっていうか。
まぁ今となってはどうでもいいことですが。


で、退職日はキリよく3/31までと決めて、あとはいつまで出社するか。
結構ね、悩みました。
悩みましたが、有給消化させて頂いて、最終出社日をこれまたキリよく2/28に決めました。
退職に際して有給消化するかしないかって結構賛否両論だと思うんですよ。
でも「権利」として頂いたものだし、ちゃんと行使させてもらおうと。
さすがに休日出勤した分の代休は使わんかったけど(笑)
あとはね、引越しを多忙な3月末からは避けて3月初旬から中旬にしたかったんです。
そうなると荷造り出来る日が殆どなくてね。
自然と消化する運びになりました。
まぁ言い訳だな←





そんなこんなでもうすぐ最終出社日。
正直、もう既に開放感でウキウキしてるのは否めない。
これから先、絶対「あー辞めなきゃ良かったな」って思うことがあると思う。
この長々とした文はその時のため。
あの時こう思ってたから、自分でそう決めたんでしょ!っていう戒め。
この決断が吉と出るのか凶と出るのか。
今は全く分からないけれど、いつか「そういやあんなこともあったなぁ」って笑えるその日まで。


うん、何か遺書みたいになってしまったけど、以上、最終出社日間近の心境覚書でした。




                                                                                                  • -



はい!
と言う訳で、前職を退職した理由・心境などを晒してみました。
いやー、人生って面白いね!←